2006年11月29日

空想ではないディストピア

日本人には忘却癖がある。と同時に未来への想像力も欠けているのではないか。 いや想像力がないとというのは正しくないか。現実に背を向けるから、その結果として訪れる不幸な未来にも興味がない。 あるいは見て見ぬ振りをする。「トゥモロー・ワールド」を見て、そして劇場での周りの反応を見てふとそう思った。

映画の舞台は2027年のロンドン。
人類が生殖能力を失って18年。No children,No hope,No future な状況下、 世界中が自暴自棄に陥り各地で内戦やテロが頻発する。英国は統治機構が唯一機能している国だが、その内実は治安機関が肥大化した警察国家。 鎖国政策を取り流入を続ける難民に対しては、収容所送りという強権的な手法を取っていた…というのがバックグラウンド。

この設定がまずもってしびれるところ。少子化も移民問題も現実的な問題。とくに少子化の原因は晩婚化などライフスタイルの変化だけではなく、 むしろ不妊の増加によるところが大きいようだ(このへんとかこのへん参照) 。そのうちホントに人類のザー○ンから精子が消える時代がくるかもしれないからだ。

外国人強制収容所にしても然り。グアンタナモの例を見れば規模の大小こそあれ現実だからだ。終盤の蜂起シーンで行進する群集が 「アラーアクバル」を連呼するあたりもやたらと示唆的だ(モスリムに対するステレオタイプとも取れるが)。 この映画で描かれるディストピアは半ば現実と化している。

設定はシンプルだし、映像は秀逸。宗教観を中心にしたメタファーもちりばめられており非常に間口の広い作品だと思う。 ロードムービーとしても最近では「モーターサイクルダイアリーズ」に並ぶ傑作だ。

えらい気に入ったので、入れ替え制の劇場ではなかったのをいいことに続けて2回鑑賞。一度目は気付かなかった部分、 例えば汚染され崩壊した郊外の様子などはディテールも凝っていたし、10分を超えるドライブシーンの長回しは圧倒的。 クライマックスの市街戦ワンカット撮影から”神の子降臨”を思わせるシークエンスはジョン・ タヴナーの音楽も相俟って2度目でもこみ上げるものがあった。

クライヴ・オーウェン、マイケル・ケインら俳優陣も豪華 (個人的には収容地区でセオとキーを助けるマリカがお気に入り)だし、 解決策や人類の行く末を示さないラストも余韻を残すのに一役買っていたと思う。

気になったのは冒頭書いた周囲の反応だった。確かに万人ウケする作品ではないけれど総じて鑑賞後は「さあ帰るべ」ムード。 週末興行は5位止まりだったし、 Yahooの映画レビューでも今んとこ5点中3点未満。 ヒットとはなりそうもない。確かに映画の文脈を気にせず受動的に見ているだけではただの絶望的な話でしかない。 でも全部一から説明があってわかりやすい映画っておもしろいか? 

いつの頃からかこの国ではネタがベタになった。アレゴリカルなストーリーや現実のカリカチュア (ゴジラやウルトラマンがまさにそうだった)を理解できない。あるいは真に受けてしまう。マッド・ アマノ氏のパロディ画に自民党が削除請求した事件などは後者の典型例だろう。 いい大人が子供じみたリアクションをするようになってしまった。

もしかしてこれも環境ホルモンによる精子減少の影響? そんなことを考えていたら笑うに笑えず空恐ろしい気分になってしまった。 もしかしてこの国では猛烈な勢いでディストピア化が進んでいるのかもしれない。

posted by tso-tsi at 17:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | cinema2006

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