2007年04月24日

知ることと、行動すること

歌舞伎町のミラノ座で「ブラッド・ダイヤモンド」を見た。 二度目の鑑賞。間違いなく今年ここまでの最高傑作だ。

まず驚かされるのが社会派の題材を扱っていながらエンタテインメントとしても一流である点(「グエムル」と一緒ですね)。
RPGが乱れ飛ぶ中盤の市街戦の迫力は「トゥモロー・ワールド」をほうふつとさせ手に汗握る迫力。ジェニファー・コネリー(ひたすら美しい! )演じるマディー・ボウエンとダニー・アーチャー(レオ・ディカプリオ)の切ない邂逅もそう。映画本来の娯楽性というか、 ヒットの要素を貪欲に盛り込んでいる。カネがかかっていることもあるのだろうけど、 観客を選ばない間口の広い作品であるというのが素晴らしい。
娯楽性と社会性のハイレベルな調和。真に「志のある作品」だ。

加えてこの映画を深みあるものにしているのは製作者側が「安全な場所にいるもの(映画を見ている私たち自身でもある)は” かわいそうね”と思うだけ。結局現実は変わらない」という矛盾に自覚的だからだと思う。

その矛盾を象徴していたのがマディー・ボウエンだろう。巨大な難民キャンプを目の前にして 「CNNでスポーツと天気の間に流されるかしらね」と自嘲気味に話し、紛争地へ向うバスの中でソロモン・バンディー(ジャイモン・フンスー) の「記事を見た人は助けにくるか?」の問いに対し「probably Not.」と言い放つあたりは実に直接的だ。

そしてラスト近く、負傷し死にかけたアーチャーがマディーに電話をかけたとき、彼女はカフェでのんびりコーヒーをすすっていた。 すぐに安全地帯に戻ることのできるマディーと、「神が見捨てた」絶望の大陸を脱出したいともがき続けた末に、 そのアフリカの大地で息絶えたアーチャーの対照。この皮肉は半端ではない。

けれどもこの映画の製作者は、矛盾を自覚しながらも、その矛盾を乗り越えようとしているとも思う。撮影後出演者やスタッフ、 そして映画会社が出資してブラッドダイアモンド基金が設立されたという。事実を知り、結果自分たちの無知を知り、そして行動したわけだ。

このことは映画を見た私たち自身にも当てはまるのだろう。「セガール気分で逢いましょう」 さんが引用されていた養老孟司(ですよね?)の言葉が印象的だった。

この映画が増殖させた世界中からのシエラレオネへの視線が、『ブラッド・ダイヤモンド』のリアルな(現実世界の) 続編となって常に過去を更新し続けていくことを信じたい。それが映画というメディアの影響力というものだ。「“知る” ということは知る前の自分と、後の自分とが違うってこと」なのだと、養老さんもそう言っている。

「知る」ことはときに私たちを苦しめる。 多くのことが鮮明に見えてくることの苦しさは見えないことの辛さの比ではない。 それはほとんどの場合自分の無力さを思い知ることにほかならないからだ。

でも同時にこうも思う。自分にとって「公正なこと」が何であるかがはっきりすれば、どこで起きている問題であれ、 それが自分自身の問題であると認識できるはずだ。そして行動できるはずだ、と。

呼ぶ声は、 彼方〜f's diary」さんに全面的に同意する。

でもやっぱり「何かしたい」という気持ちになったら、まず出来る事から行動すれば良いのだと思った。 ダイヤの原産国を聞いたり、紛争ダイヤを購入しないようにする事や、いろんなNPOやNGOに寄付をする事、語り合う事、文章に書く事… 、いろんなことが「出来る事」としてあるはずだと思う。
 そしてこの映画をまだ観ていない人に、勧めることも「出来る事」のひとつなのだろう。



posted by tso-tsi at 20:21 | Comment(0) | TrackBack(1) | cinema2007
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『ブラッド・ダイヤモンド』
Excerpt: レオナルド・ディカプリオはいまやハリウッドのレジェンドとなることを約束された俳優
Weblog: セガール気分で逢いましょう
Tracked: 2007-04-28 22:10
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